●キャットシッターねこごころ スタッフねこ崎の、愛と文字いっぱいのブログ●
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現在私が持っている御朱印帳(神社用)は、2008年に府中市の大國魂神社で購入したものです。
しかしその一回きり以降ページが御朱印で埋まることもなく、しばらく引き出しの中に置かれたままになっていました。
神社に行ったり、それこそ本場の京都に旅行したりしていたのですが、御朱印帳を持っていくのをすっかり忘れていたのです。
しかし東京十社めぐりをするにあたり、これではいかん!と思い直し。
東京十社の御朱印と共に、機会があればどんどん御朱印を頂いていこうと一念発起いたしました。
とりあえずは2008年、大國魂神社の御朱印です。

日付が古い・・・。
さてさて、情報をば。
大國魂神社(http://www.ookunitamajinja.or.jp/)
御祭神
・大國魂大神(おおくにたまのおおかみ)=大国主命(おおくにぬしのみこと)
神田明神と同じ神様です。
品川神社の御祭神、素盞嗚尊(すさのおのみこと)の息子とのこと。
西暦111年(!)の5月5日に創建されたそうです。
111年というと、中国では後漢の時代。まだ三国志の時代にもなっていません。
すっごくすっごく昔ですね!
源頼朝の奥さん、北条政子の安産祈願を行なったり、徳川家康が江戸に入ってからは、江戸の鎮守として篤く信仰されたそうです。
って、ここでまたまた頼朝と家康の名前が。
品川神社、芝大神宮に続いて三社目です。
境内はとーーーっても広く、また木々が鬱蒼と繁っていて、訪れたのは八月下旬でまだまだ暑い盛りだったにも関わらず、心地良い空気を感じることができました。
ゴールデンウィークに行なわれる例大祭、『くらやみ祭』は、あの司馬遼太郎の「燃えよ剣」の冒頭に登場するお祭です。
-略-
この夕、歳三は村を出るとまっすぐに甲州街道に入り武蔵府中への二里半の道を急いでいた。
-略-
今夜は六社明神(=大國魂神社)の祭礼である。 俗にくらやみ奉といわれる。
-略-
という形で登場します。
さすがにその当時のままの、男女のむにゃむにゃ・・・という風習は残っていませんが(あったらものすごく困る)、今でも夜に行なわれているそうです。
近くですし、機会があったら是非行ってみたいなあと思います。
しかしその一回きり以降ページが御朱印で埋まることもなく、しばらく引き出しの中に置かれたままになっていました。
神社に行ったり、それこそ本場の京都に旅行したりしていたのですが、御朱印帳を持っていくのをすっかり忘れていたのです。
しかし東京十社めぐりをするにあたり、これではいかん!と思い直し。
東京十社の御朱印と共に、機会があればどんどん御朱印を頂いていこうと一念発起いたしました。
とりあえずは2008年、大國魂神社の御朱印です。
日付が古い・・・。
さてさて、情報をば。
大國魂神社(http://www.ookunitamajinja.or.jp/)
御祭神
・大國魂大神(おおくにたまのおおかみ)=大国主命(おおくにぬしのみこと)
神田明神と同じ神様です。
品川神社の御祭神、素盞嗚尊(すさのおのみこと)の息子とのこと。
西暦111年(!)の5月5日に創建されたそうです。
111年というと、中国では後漢の時代。まだ三国志の時代にもなっていません。
すっごくすっごく昔ですね!
源頼朝の奥さん、北条政子の安産祈願を行なったり、徳川家康が江戸に入ってからは、江戸の鎮守として篤く信仰されたそうです。
って、ここでまたまた頼朝と家康の名前が。
品川神社、芝大神宮に続いて三社目です。
境内はとーーーっても広く、また木々が鬱蒼と繁っていて、訪れたのは八月下旬でまだまだ暑い盛りだったにも関わらず、心地良い空気を感じることができました。
ゴールデンウィークに行なわれる例大祭、『くらやみ祭』は、あの司馬遼太郎の「燃えよ剣」の冒頭に登場するお祭です。
-略-
この夕、歳三は村を出るとまっすぐに甲州街道に入り武蔵府中への二里半の道を急いでいた。
-略-
今夜は六社明神(=大國魂神社)の祭礼である。 俗にくらやみ奉といわれる。
-略-
という形で登場します。
さすがにその当時のままの、男女のむにゃむにゃ・・・という風習は残っていませんが(あったらものすごく困る)、今でも夜に行なわれているそうです。
近くですし、機会があったら是非行ってみたいなあと思います。
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